アンティークフランス建築資材調達のヒサナガドットビズ

アンティークとフランス建築資材調達のヒサナガドットビズの会社情報と、久永昌一郎の経歴をご紹介します。

ヒサナガドットビズのプロフィール

株式会社HISANAGAの会社情報と、私の経歴をご紹介します。

ヒサナガドットビズの会社情報-プロフィール

会社名

  株式会社 HISANAGA
 代表取締役 久永昌一郎
   創業     H13年11月
  会社改組  H18年12月
   資本金   1700万円

所在地

〒424-0901:静岡市清水区三保41-4
    TEL:0543-35-0707
  E-mail:info@hisanaga.biz
  France:Villa Gentil 5,Rue Gentil 06110 Le Cannet
   Mobil:(33)678-020-999 Tel:(33)493-68-84-72

アンリ・マティス風 久永昌一郎
アンリ・マティスはニースに滞在して数々の名作を残しました。

ヒサナガドットビズ代表 久永昌一郎の経歴

1972年04月(28歳)
スペインはアンダルシアへ、自分探しの一人旅に出る。

1973年10月(29歳)
一念発起し経営していた会社を整理、妻子を連れてスペインへ。ヨーロッパ放浪のスタート。

1974年05月(30歳)
バルセローナに転居。“mariposa”(蝶々)という名のヨットを持つ。

1974年11月(30歳)
ヨットでマジョルカ島を目指す。無事着岸したマジョルカ島では地酒で歓待を受けた。

1974年12月(30歳)
マジョルカ島で柔道場を開く佐藤氏と知り合う。氏と共同でインカ村に柔道・空手道場を開館。ヨットの維持費に苦労し出す。

1975年05月(31歳)
フランスはカンヌまで「売りたし」の看板をつけたヨットで回航。3ヶ月後ニースでやっと売却できた。

1975年08月(31歳)
地中海柔道クラブのインストラクターとなる。元オリンピック選手のダニエル-ピナテル氏の世話で、滞在許可や日本料理屋“samourai(サムライ)”の営業許可、拳銃所持許可まで取得する。

1977年11月(33歳)
インストラクターを辞め、レストラン業に集中。レストランはフランス料理修業中の若者が集まる場となり、後年日本のフランス料理界で名の挙げた鉄人に三國清三、鎌田昭男、高橋金男、大高恒夫、安達実などがいる。

1983年03月(39歳)
40歳を前に帰国を決意。レストラン“samourai”を売却すると、購入時の10倍にもなった。カンヌ映画祭でロバート・デ・ニーロが言った「体重を戻すときには日本料理で」の言葉が利き、3ヶ月大盛況になったこともある店だった。

1983年12月(39歳)
何故かまっすぐ帰国することができず、世界一周の切符を買ってラスベガスの友人宅で3週間もぐずぐずしていた。ここで遊びすぎたおかげでレストラン売却のお金はほとんど底をつくことに。

1984年01月(39歳)
カラッケツで帰国。当時バブル期の日本は刺激的だったが、10年日本を離れていた影響は大きく、都会よりも田舎で暮らしたいと思うようになった。伊豆大島にて山林を手に入れ、1年がかりで丸太小屋をたてる。

1986年05月(42歳)
丸太小屋づくりで覚えた建築の知識を生かして会社を設立。地元の業者に反発し、仕事を安く請け負える本格的土建屋を目指す。

1986年11月(42歳)
伊豆大島が噴火、全島民に避難命令が出されるも、命令されるのが嫌で密かに丸太小屋で暮らす。1週間後、家族の説得があったことととワインのストックが切れたために離島。飛騨高山や築地歌舞伎座近くに友人を訪ね暮らす。帰島後本業に復帰、噴火災害復旧でますます多忙に。

1992年03月(48歳)
子供が大きくなり、親として一段落を感じていた頃に、フランス柔道連盟顧問就任の要請を受ける。リタイヤ後の生活を模索していたので、フランス再上陸を楽しみにしていた。

1995年10月(51歳)
所有していた土地が伊豆大島空港拡張区域に引っかかる。未練は無いので「はい!仕切り直し」と全てを清算し身軽になる。

1996年02月(52歳)
いよいよフランスへ再上陸。成田から大島上空を旋回した時、なぜか「ざまーみろ」と思う。新しいカンヌの家には“VILLA MAYALIS”(ビラ マヤリス)というかっこいい名前がついていたが、家とは名ばかりの幽霊屋敷で改造に1年を費やす。

2000年02月(55歳)
以前知り合いのところの物置に転がっていた薪ストーブに魅せられてから、ずっとコレクションしていたアンティークストーブがこの頃100台を越える。コレクションを展示して多くの人たちに知ってもらうべきだと友人に指摘され、それとなく候補地を探し出したところ、清水は三保の施設を提供していただけることとなる。

2001年05月(57歳)
静岡県清水市にある、東海大学社会教育センター“曲り屋”にてフランスアンティークストーブ館を開館。これから日本とカンヌとを行き来することを考え、フランス一高い住民税をバカらしく思いカンヌの家を売りに出す。

2001年6月(57歳)
カンヌの家を売り払い、ニースの山小屋に移り住んで骨董品をかき集める作業に熱中した。レストラン時代に骨董商の手伝いをした経験から目利きや土地勘があったことなどが幸いした。

2001年11月(57歳)
業者向けの輸入建材、骨董販売のストックヤードを清水市三保にオープン。開店当時からフランスの建材に興味があり、特に古い建具やテラコッタなどに魅力を感じていたのでそのほうの宣伝に力を入れる。

2002年02月(58歳)
フランス建築資材仕入れのために設計士の先生と渡仏。その後は骨董の仕入れや取引のためガイドを含めて年7〜8回の渡仏をこなしている。ニースの山小屋はフランスでの前線本部になる。

2003年04月(59歳)
静岡県裾野市十里木高原の別荘地にアンティークストーブ館を開館。

2004年09月
静岡市清水にヒサナガドットビズ情報館を開館。ビジネスコンテンツは輸入品の紹介・企業提携の仲介・業務翻訳・現地ガイド・企業調査のサポート。実績を見て頂くために、カタログ集や各種書籍を展示&アンティークグッズも展示販売している。

2005年02月(60歳)
富士山の麓に開いたアンティークストーブ館を閉館。シチュエイションもポリシーも素敵なアイデアだったがお客さんが全く来ない山の中で凍え死にそうになって静岡のコートダジュール三保に撤退。
残るは清々の思い出のみ。

2005年05月(61歳)
ネットショップhttp://www.bon-cote.jpの開店をきっかけに清水のヒサナガドットビズ情報館を閉館。
三保のデポーでショップの運営にあたる。

2006年12月(62歳)
コンテナの輸入が日本全国に及び九州、北海道に実績が出始める。南仏のみの輸入手配からParisとCannesにストックヤードを確保し集荷から日本向け発送までシステム化に成功。
Cannes市にソシエテ・HISANAGAの支店オープン。

2007年12月
フランス当局の指示により輸出専門業のライセンス取得。
これは日本からの輸入は出来ないライセンスなので、いつかはこれも取ってやるぞと
意気込みだけは健在の63Gになりました。G=爺さん

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